関ケ原の影の功労者、黒田長政はファザコンだった?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第23回 ~黒田長政~
続いて十二運星からエネルギーを読み解いていく。
○胎(たい):好奇心旺盛で、変化を好む。理想を求めて満足できず、新規開拓に向いている。
幼少期は長浜城で人質生活を送った長政であるが、へこたれることなく、市松(福島正則)や虎之助(加藤清正)らとも堂々渡りあっていたと言う。新しい環境が長政に向いていたのだろう。
また、慶長6年(1601年)加増移封による国替えにより、長政は福岡藩の初代藩主となるわけだが、新規開拓好きの長政にとって、城下町の整備はうってつけの役目だったに違いない。長政は、城を築くにあたり、商人の街であった博多の隣接地を選び、当初は福崎といったその地を、黒田氏ゆかりの備前の故地「福岡」と名付けた。福岡城は、慶長11年(1606年)に完成したが、長政によって築かれた福岡は、現在も日本有数の都市として栄えている。
○長生(ちょうせい):学問が好きで順応性が高く、穏やかな性格。とにかく人から信用される星。
○冠帯(かんたい):女王様の星。女王様のように、おしゃれ。社交的な星でもあり、エネルギーが強い。
長政はおしゃれさんだったのだろうか。長政の兜は2つ残っているが、いずれもなかなか個性的。まず一つは「黒漆塗桃型大水牛脇立兜(くろうるしぬりだいすいぎゅうわきだてかぶと)」。兜の両脇には、水牛の角を模した造形を配している。戦場でもさぞかし目立っただろう。そしてもう一つが「銀箔押一の谷形兜(びんぱくおしいちのたになりかぶと)」。
一の谷兜は、源義経の一の谷の戦いの舞台となった急こう配の崖を模したもの。義経の活躍にあやかり戦勝を祈願する意味が込められており、家康も関ヶ原の戦いでかぶったと伝わるが、長政の兜は、家康のそれと比べても面積が圧倒的に大きいという。おしゃれで目立ちたがり屋だったのだろうか。
今回の鑑定結果について、薩摩黒田家ご当主の黒田清久氏に見解を伺った。
「先陣を切って戦に望む長政の姿勢を見て、官兵衛は『周りを冷静に見て指揮をとるリーダーのあり方ではない』と何度も戒めていたそうである。長政の戦好きとファーザーコンプレックスは納得できる。ただ、そんな長政の勇猛果敢な振る舞いは、関ヶ原の戦いで恩賞を受け、現在の黒田家の礎を築くに至った。官兵衛の期待とは異なったかもしれないが、素晴らしい武将であったと思う」
ちなみに、長政と官兵衛の相性は40%。長政と家康の相性も40%である。いずれとも相性はよくない。映画「関ヶ原」では、長政を俳優の和田正人さんが演じる。優れた父、偉大な天下人の元で戦国を生き抜こうとする長政の姿は見どころのひとつだ。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いてグレゴリオ暦に換算し鑑定している。
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。